平均自由行程とは、分子や電子などの粒子が、散乱源による散乱で妨害されること無く進むことのできる距離の平均値のことを言う。wikipediaより

大気圧中の一つの酸素分子は、周囲の酸素分子や窒素分子と押し合い圧し合いしていて、ほとんど動かず、距離にして68nmである。では、真空ポンプで空気を吸い出してみよう。気圧が低くなると、その空間の分子の数が減少して、いくらかは遠くまで動くことができるようになる。高真空にすると(例えば)1mとか1kmとか動けるようになる。

固体の中は分子の密度が高いので、電子にとっては移動するのはとても大変だ。シリコン(Si)の中の電子の平均自由行程は10nm程度だ。ガリウム砒素(GaAs)だとその距離はもう少し長くなる。

会社という組織の中は人間とイデオロギーの密度が高いので、私にとっては自分を発揮するのはとても大変だ。大会社の中の私の平均自由行程は「○○という案もあります」と発言する程度だ。小さい会社だとその距離はもう少し長くなって「△△をやりましょう!」と発言できる程度になる。

会社という固体物質から一歩出れば、そこは真空中である。私の平均自由行程はぐっと長くなり、ぶつかるものが少なくなるのでやろうと思ったことが何でもできる。ただし衝突の機会がないわけではない。夜になれば中断して寝なければならないし、お金の壁にぶつかるかもしれない。一番の衝突材料は家族だろう。隣近所にも衝突することがある。

ただ重要なのはこの、この同質のものにぶつかるということが人間社会にいることと同義なのである。
たとえば、あなたが絵画を描きたいと思ったら、誰にも邪魔されない所で筆を動かすだろう。やがて絵は完成しあなたは満足するかもしれない。これはまだどこにも衝突せずに真空中を自由に移動している状態で、まだ社会と関わっていないということだ。

平均自由行程が長いことは、2通りの解釈が出来る。1.誰ともぶつからず長距離を移動できるのは良いことだ。2.長い間誰ともぶつかれないのは寂しくて良くないことだ。ほどほどに進めてほどほどにぶつかるのがよかろうもんという中庸論もある。これは万人に当てはまらない。真空中を1人で突き進んで光る人もいる。高密度の物質中で一生押し合い圧し合いして光る人もいる。

光電効果というものがある。物質にエネルギーの高い光が当たると、物質表面から電子が飛び出す現象である。
hν=P+W
hνは光のエネルギー、Pは飛び出した電子のエネルギー、Wは仕事関数といって電子が物質内部から表面まで移動してくるのに費やされるエネルギーである。仕事関数が大きいと飛び出した後の電子の速度は遅くなる。

脱サラ起業というものがある。彼にエネルギーを与えるhνのエネルギーの光に相当するのは、先人の励ましであり、本であり、映画であり、人それぞれである。内なる熱エネルギーによって自ら飛び出すこともあるが、それは光電子ではなく熱電子という。本来起業するということは熱電子の発生過程に相当する。叩き出されるのか飛び出すのかの違いである。

仕事関数Wに相当するものもいろいろあるが、主要な要素は同僚の引きとめと脅しである。また会社員生活が長くなると徐々に固体の奥側へドリフトしていき、脱出に必要な仕事関数はより大きくなる。
さて会社から飛び出すのに多くのエネルギーWを使ってしまうと、飛び出したあとの事業のエネルギーPが少なくなり弱々しいスタートとなってしまう。つまり起業後のエネルギーに重点をおくならば、仕事関数の浪費の少ない会社の表面近くにいた方が有利かもしれない。表面近くというのは窓際ということではない。

hνのエネルギーを受けて会社という固体内部で動き出したはよいが、hν<W の場合は、会社という固体内部から外に出ることはない。中途半端な動き方をすると、表面まで移動するだけでそれこそ窓際で止まってしまうこともある。

この世は相似象になっている。電子スケールの世界で起こることは、人間スケールの世界でも起こる。正直に観察してもそのつながりは見えてこない。両者の相似性を見出す鍵はcynic(皮肉)だろう。