映画「クラウドアトラス」を観た。

真実とは何か。目の前に真実があったとしても、それが見える人と見えない人がいる。入り江に大きな帆船が入ってきたとき、ポリネシアの人たちにはその船は見えなかった。現実の枠から外れるような真実は見えないんだ。

もし魂や生まれ変わりがあったとしても、多くの人にはそれは見えないし認められない。

今の地球の文明は未熟だ。人が人を殺したり支配したりする。

「真実を広めなければならない」とか「ユートピアを作らなければならない」とか「この社会の悪い部分を直さなければならない」とか、、、使命感を持つのは本人にとっては大切なことかもしれない。しかしその稚拙な使命感に巻き込まれる他者はどうなのか。

子供たちのため子孫のためというのは現世利益の延長である。この地球をユートピアに改造しようとするのは必ずしも正しいやり方ではない。

もし魂を磨く必要があるのなら、魂をぬるま湯に浸けてもダメなのはわかるだろう。まず魂を研磨機に流し込んで他の多くの魂とぶつけてかき混ぜて(バレル研磨という)魂の角を取ってある程度丸くしてやる必要がある。

今の地球文明はバレル研磨装置なんだ。この地球から悪をなくしてユートピアを築こうという思想は、この研磨装置をバスタブに改造しようという暴論と同じなのではないか。

バレル研磨で角が取れて丸くなった魂は、バレル研磨装置から取り出されて次いで磨き(ポリッシュ)工程へ進む。

なぜこの地球は戦争と悪が蔓延るのかの答えはここにある。丸くなった魂はもう人としてこの地上には生まれてこないのだ。

人は同じ過ちを繰り返しているように見せかけて、実は魂を磨いているのだ。

一喜一憂せず山奥に一人暮らすような仙人はもうこの地球文明から出ていけばいいんだ。ということだ。

しかし疑問は残る。それならなぜ人の頭の中に「もっと良い世の中にしたい」という発想が出てきてしまうのだろうか

過去の英知が後世に残らないというのは良くあることで、学問を突き詰めたところでどうせ次の文明には伝わらない。文字や言葉すら伝わらない。

正しいことをしようとする意志を持つには人間の脳みそはまだ未熟だ。人によっては隣国を悪く言うのが正しかったり、薬を飲ませるのが正しかったりするようなレベルなんだ。

ネットワークは広がりすぎるとよくなさそうだ。おらが村のことだけ知っていればよい時代はよき時代だった。

21世紀の世の中の変化スピードの速さは殺人的で破滅的だ。

結局自分は何をどうすればよいのでしょうという質問には答えは決まっている。人それぞれだから好きなように生きて運命に流されるが良く候。そして死ぬ時分には死ぬが良く候。幸いなことに我々はカインと違って死ぬことができるんだ。