我々は目の前の相手に情報を伝えるツールとして「言葉」を使う。場合によっては手話や筆談やメールで情報を伝える。

左脳的な論理情報を言語に変換して言葉などのツールで相手の耳や目にインプットを試みるのだ。

論理情報の経路はこうなる。

(自分の)左脳→言語変換→口→空気振動→(相手の)耳→信号変換→左脳。

たとえば「遅刻をしちゃだめ」というのは論理情報である。

この時、みな経験あると思うが、(怒)や(呆れる)や(困)や(笑)という右脳的な感覚情報が付与される。

メールでは相手がどう「感じている」かは伝わらないから、ジョークを書くことが難しい。 そこで(笑)やwをつければ、なんとなく怒っていないという感覚情報を付与できる。

では、面前の口頭コミュニケーションで右脳的な感覚情報がどのように伝わるか考えてみよう。

「愛してる」は左脳が作った言語情報であるが、愛していてもいなくても「愛してる」と発声して空気の振動を作ることはできる(笑)

で、無意識の人が多いが、

右脳の感覚情報が言葉の空気振動に変調されて紛れ込むのだ。

相手はその空気振動を耳で聞き、言語としての論理情報を左脳へ、変調された感覚情報を復調して右脳へそれぞれ送って処理する。

そう、言うつもりはなくても、感覚的な情報は言葉に紛れ込んで相手に伝わってしまうのだ。

この感覚情報(あえて言葉にするなら楽しい、悲しい、うれしいなど)は右脳のプロトコルであるから言葉にはならない。

感覚情報がどのような変調方式で発声(空気振動)に乗るのか。そのヒントの一つにリバーススピーチがある。

人の話を録音して逆再生すると、その人の心の声が言語情報として再生されるというものである。

興味深いのは、言葉を覚える前の赤ちゃんの発声である。だぁだぁと言葉にならない声を発してはいるが、録音して逆再生してみると、ちゃんとした言語になっていることがある。赤ちゃんにやさしく語りかける母親の声と一緒に録音して逆再生すると会話になっているとも言う。

赤ちゃんは論理情報などの前に快不快などの感覚情報をアウトプットする。お母さんに「オムツを替えてくれ」など言うわけない。バブーと泣き喚くのは感覚情報をお母さんの右脳に伝えようとしているわけだ。そしてお母さんはしっかりと右脳で会話をしているのである。(右脳で情報を受け取れず理解できないことは母親にとって悲しいことである)

では特に論理情報を伝える必要はないが、右脳情報としての喜怒哀楽を伝える時は敢えて言葉を発声する必要はない。あ~とかう~とか鼻歌でも良いが、言葉として意味のない「音」を出すだけでも、そこに感覚情報は変調して乗っかる。そして相手に喜怒哀楽は伝わる。そういった意味ではテレパシーである。

しかししかし、喜怒哀楽は空気振動に変調をかけなくても、別の経路で伝えることもできる。

隣の人がイライラしていたら釣られてイライラするだろう。隣の人が笑っていたら釣られておかしくなることもあるだろう。

「感受性」という言葉がある。ちょっとしたことで感動するという意味もあるが、周囲の人の感情を受けやすいという意味が強い。

ちなみに私は感受性が強い。感情的な人の近くにいると、言葉なんか関係なく喜怒哀楽が直接飛び込んでくるのでたいそう疲れる。

感覚情報はテレパシー的に非言語で伝えやすい。では論理情報は非言語で伝わるだろうか。

「どこどこの株を何株買え」という情報は伝わるだろうか。・・・これがある条件を満たすと伝わるのである!

サッカー選手がフィールド内でアイコンタクトで「感じる」ように、トレーダーも自分たちの”フィールド内”ではバチバチに感じるのだ。

キーワードはフィールドと一体感である。同調度やシンクロ率が高いとも言う。

見て考えてプレーするのは二流だ。一流選手は感じ、そしてゾーンに入る。

Don’t think, feel。これが一流と二流を境目だ。

コミュニケーションについても、多くの人間が三流である。ビジネス書のコミュニケーション術の類を読んで理解したところで二流である。

見聞き出来ない非言語的なものを突き詰めたいものである。