さて、社会に目を向ければ問題は山積みである。

日本の借金は膨らむ一方だし、国際情勢もかなり物騒である。

例えば私が日本国内の社会問題や権力構造についていろいろ考えて時間を割いて努力したとする。それで、みなが安心して暮らせる世の中に近づけることができるかもしれない。もしくは、権力のおこぼれを預かれるポジションに入り込んでぬくぬくといい思いをできるかもしれない。

特にその階層での社会構造の仕組みを徹底的に調べると面白い。日本社会を裏から牛耳っているのはどの勢力だとか、確信的左翼による売国政策はどのように実施されているかなどなど。そういうことを生涯論じ続けることももちろんできる。これは目の前にある日本社会という階層での言動だ。

同じようなことが、会社、学校、刑務所という階層でも考えられる。学校や会社や刑務所でどう振舞えば自分の利になるか。どこの誰が力を持っていて、どんな解決すべき問題があって、どうやら支配者(社長、先生、看守)とつながっている奴もいて、そんな問題や支配体制のあり方をその閉鎖社会にいる間論じ続けてもよい。

しかし、現実には刑務所を住みよくするために時間をかけて努力する人は少ない。

いずれはその閉鎖社会から出る時がくる。そうなった時、その閉鎖社会での知識と処世術は、外の世界ではあまり役に立たない。今生きている社会も例外ではなく、人はいずれはこの社会を出る時がくる(それは死ぬ時かもしれない)。それでも多くの人がこの社会をよくしようといろいろ考えて行動している。

我々大人たちは子供達がホームルームでクラスの問題を話し合っているのを微笑ましく見守るが、我々が政治や武力や言論で活動するのを微笑ましく見守るもっと大人達がいるだろう。

社会の勉強は人間が成長する上でとても大切なプロセスだ。一年中クラスのたけし君の横暴ぶりやスネ吉君のやり方に杞憂したり、どうやったらたけし君をぎゃふんと言わせられるかを考えていたってしょうがない。

真理の追究は今の社会を俯瞰するくらいの高い階層でモノを考え論じることも必要になる。

雑記のため・・・結論はありません。