「危険」は意識した人にしか見えない。

これは危険だよ。と言うと、ある人からは、何を言ってるのだ!全く危険ではない!とつっこまれたりする。

しかしあなたが、「そうかこれは安全なのだ」と思いなおす必要はない。

あなたにとって危険ならば危険なのだ。

ところがである。

自らは意識せず、安全か危険かを他人に委ねる人がいる。

安全と言われれば安全と思い、危険と言われれば危険と思う。

安全と言われたのに危ない体験をしたら、「安全と言ったじゃないか!」と発言者を問い詰める。

安全かどうかは最終的にはあなた自身で考えてください!と返すと、

無責任だ!とぶちきれる。 (政府と国民に置き換えて考えない方がいいです)

さて、2011年現在日本と世界の状態はだいぶ良くない。

水も食料もなくなると心配する人もいるし、何をばかなことをとあきれる人もいる。

政府やメディアを時の権力者であると認めることは悪い考えではない。認めてしまえば期待も落胆もしなくてよいのだ。

昔から権力者は権力者の言動ややり口が決まっている。けっして人民が判断と人生を委ねる存在ではないのだ。

日本の政府も「あなたたちのめんどうをみます」なんて言っていないだろう。

写真は2011年4月のGoogleMapで見た富士山の画像である。

なにやら黒と赤で絵が修正されている(実物の富士山はこんな色をしていない)

Google社が関与しているか、ハッキングされたか、いたずらなのだと思う人もいれば、何かの予告・警告と思う人もいる。

天災なり人災なり、天変地異にて社会機能が停止する可能性はゼロではない。

電気も水道も止まり、ガソリンも通信も流通も経済も金融も社会インフラ全てが麻痺する。

テレビがつかない電話もつながらない防災無線も沈黙。お店に行っても何もない。お金も使えない。

「私はこれから何をどうしたらいいんですか!」と叫んだら、今まで自分の人生を誰かに委ねていた証拠である。

これから何をやっていこうか、周囲の状況から自分で考えて自分で判断してもよいのである。

私は朝から晩までストレスまみれでロボットのように働かされて、不自然な砂糖水と肉食ばかりで健康を害し、テレビを見せられどんどんバカになり、不自由に押さえつけられ搾り取られ続ける社会で生かされるよりは、種を巻いて自然の恩恵を受けられる範囲で生かされるのも良いのではないかと思う。

今の社会に不自然さと窮屈さと未熟さを感じる人のその感覚は正しい。

そうかこれが当たり前なんだと思いなおす必要はない。