太田龍氏は、イエズス会の日本侵略の挑戦は3度行われたと指摘する。
「キリスト教」は人類救済のツールと見るか、人類管理のツールと見るか。私は当然後者と見ているし、多くの人が同様の見方をしているので特に言いはばかるようなことでもない。
1549年フランシスコ・ザビエルが日本に来てキリスト教を布教した。信長・秀吉らはイエズス会の真意を見抜きこれを弾劾した。
近代になってからも欧米列強の強襲による布教活動が起こったが、明治天皇・政府は「教育勅語」を発布し、キリスト教布教を拒否した。
3度目の挑戦は太平洋戦争で日本を打ち負かし、天皇は神にあらずと宣言させ国家神道を廃止させた。これに対し日本は反撃に出ていないというが、かといって多くの国民がキリスト教徒になったわけではなく、大規模な布教活動も行われていない。
この状況をどう見るか。

イエズス会の立場になって考えてみれば、こいつら(日本人)はとてもキリスト教化できないと判断するだろう。

なぜかと考えてはっとした。
これが大和朝廷~秦の国仕掛けなのか。
日本には全国に大小多くの神社があり、八百万の神様がいて(ということになっている)民衆の文化に深く根付いている。天皇がやられようが、大きな神社が壊されようが、国家神道が否定されようが、日本全てを新しい宗教で塗りなおすことなどできないのだ。
もし中央に大きな神社をどんと立てて天皇が中央集権で神道をやっていたら、そこを抑えられたら簡単に占領改宗されてしまったことだろう。
秦氏(?)が日本全国にこれでもかと神社を建てまくったのは、これを見越していたのかもしれない。

しかし同時に疑問もわいてくる。
秦と日本の神社が古代ユダヤの流れだとしたら、ローマキリスト教は同郷ではないか。さらに言ってしまえばキリスト教はユダヤ教の分派。ユダヤ教を取り潰そうとする理由は何か。カトリックとプロテスタントを分けて対立させるような演武ではない何かがある。

話は戻って、日本をキリスト教化できないと判断したイエズス会ではあったが、占領できればキリスト教化する必要はないのだ。日本はうまくイエズス会を跳ね返したと思ってはいけない。
現に日本は、金融面、政治面、情報面からかなり占領されてしまっている。現代の信長・家康(=現代のリーダー)はキリシタンを弾劾するどころか、彼らの手先になってしまった。

しかし悲観することもない。
古文書などの予言書ではこんな酷い有様になるともその先どうなるとも書かれている。

結局今どうすればいいのかと言う話をされても困る。各人勝手に生きればよろしい。
私は多くの人に真実を知らしめて国民を賢くし現制度で政治を良くしようなどとは考えていない。*体制に対する危険分子でもないし人々を扇動して何かするようなガラでもない。
そんなことしても無駄だと思うわけではないし、神様が何とかしてくれるなどとも信じてはいない。

ただ真理を追求する人間のごくありふれた行動として、真に迫る本を読み自らも考えて、ブログにメモをする。それだけのことなのである。