製品を作ってその品質を管理することを標準化することは大切である。一部の人はそう言う。

アメリカの工場などでは「誰がやってもできる」というシステムになっていることが多い。Aさんが会社を辞めても代わりにBさんがマニュアルどおりにやれば製造ラインは滞りなく動く。
職人芸的なものづくりは苦手だが、大量生産のシステムとしてはそれで品質が保たれていた。

日本の場合は、ものづくり分野において、とても品質の高いものができるが、それが個人の職人技によるという場合が少なくない。職人Aさんが会社を辞めたら代わりはいなくなる。そうならないことが望ましいのだが、そういう職人的な感性で日本社会の中で会社が成長してきたという現実がある。

ところで、日本の企業は2000年前後からこぞってISO9001品質管理マネジメントシステムを導入し始めた。企業の看板やWebページにも「ISO9001認証企業」というアピールもかかさない。
お上(通産省)の指導もあったし、ISOを取得することで企業価値が高まるという事実もあった。ISOを取らなければ海外との取引に支障をきたすという圧力もあった。

ものづくりの現場を知る人間からすれば、ISOにのっとった作業は面倒この上ない。日本人的、職人的、な感覚や感性で作業をしようとすると、標準作業から逸脱する場面に多々出くわすのである。が、ここでは現場の意見はさておく。

ISO9001導入ブームに引き続いて海外企業による日本企業の買収の風が吹いた。両者は独立した事象ではない。

高品位の製品を生み出す日本の企業を配下に収めたいと一部の資本家は考える。買収のための下調べをする段階で、この高い品質は製造システムではなく一部の人間の職人技によることが多いことに気づく。買収したところで、職人Aさんや多くの従業員は外人オーナーが気に入らないといって辞めてしまうかもしれない。するとその企業の生産的な価値は瞬く間にゼロになってしまう。これが日本企業を買収することの最大のリスクである。

そこで、様々な方面から圧力をかけたり飴を与えたりして、企業にISO「職人技に頼らずに作業を標準化して誰でも高品位のものが作れるように」を取得させようとしたのである。日本企業を買収しやすくするための一言である。

そして一部の株主はこれに同調した。ISO取得で企業価値を高めよう。(そうすれば高く買ってもらえる)

しかしながら、このシナリオは思ったより上手くいかなかった。
なぜか。それはものづくりの現場の人間が一番よくわかっている。
ISOで決められた手順で作業をしているが依然として職人作業が多く残っている。手順書を書けと言われれば書くが、素人がその手順書を見てもけっして品質の良い物はできない。手順書が不十分かと言えばそうではない、感覚的なものを日本語では書けないのだ。

こうして、日本人のアメリカ人労働者化、日本企業のアメリカ企業化は行き詰まった。

思えばこの頃はまだ欧米の資本家にも、こんな「ルールに則って手順を踏む」という余裕があったのだろうか。

ゆとりがあれば、まずコーヒー片手に相手にぶつかって自分の服にコーヒーをこぼして、この服は高かったんだぞと高額のクリーニング代を請求する。しかし相手が拒むとナイフを突きつける。・・・だったら最初から強盗やれよ。コーヒーの茶番はなんなの!?

それを体現するかのように、ジョージ・W・ブッシュ政権とその国際資本グループは茶番を踏まずルール無用の強盗として振舞った。

少なくとももう買収する見込みのなくなった日本の企業がISO9001を取得する価値は少なくなった。日本のものづくり精神を金で買うことはできないのだ。


このことは重要な意味を持っている。
支配・搾取のためのむちゃくちゃな仕組みを考えてその国の政府を脅迫して、枠組みを作ったとしても、企業の現場までは思い通りに動かせないということだ。TPPも当初の狙い通りに上手くいかないだろう。TPPで最大限の利益を上げたい国際企業と各国の企業現場との間に挟まれた官僚や役人の胃に穴が空くだけだ。

かつての半導体のように、またむりやり買わされた米国製品を日本政府がこっそり買い取って捨てる。。。それがしばらく続いて、また不景気になって枠組み自体がなし崩しになるのだろうか。