どうせ、ものの見方なんてものはいくらでも変わる。
いや、学びを止めた者は変わらないのだった。小学生時代に教え込まれたものの見方を死ぬまで続けるが、それはさておき。

教科書を信じ込むところから始まって、社会の閉塞感からリベラルな思想に傾いたり、それでは中国よりだと言われれば保守思想に傾いたり、それでは結局アメリカよりだろうと言われ、では右でも左でもなく愛国だと言ってみたりする。

世の中は資本主義だと言ってみたり、でも会社の中は社会主義なんだよねと言ってみたり、日本は共産主義国によるアジア支配に立ち向かったのだと歴史解釈してみたり、国家に頼るな国家を信じるなリバータリアンたれと言ってみたり、

テレビではアメリカを悪く言わない。中国も悪く言わない。
ところが、中国を徹底糾弾する番組がある。「そこまで言って委員会」である。そしてネット配信局のいくつかでも反中国を掲げている。これらの番組に影響を受けて中国共産党の言動を非難することもできる。

アメリカも中国も憎むこともできるし、どちらとも仲良くしようと立ち回ることもできる。

名のある人を良く言ったり悪く言ったり、誰が白星で、誰が悪玉か言ってみたり、

我々には何が良いか選ぶ権利がある。自由がある。

さぁ選べ! 自民党か? 民主党か? なんてったって、我々は選択の自由があるのだから。オバマか?ゴアか?シュワルツェネッガーか?
おっと壁の外に出るというのはダメだぞ。
なに? ギロチンか銃殺か電気椅子を選んでいるような感覚がするって?

その感覚は正しい。我々が考えて選んでいるのは、牢から出るという選択ではなく、牢の中で過ごし死ぬための選択でしかない。

どうせ学ぶほどに思想は(良い方に)流転するのだから、今の思想に拘らず安心して学び続ければよい。

それに比べて学者は不幸である。未熟な状態で打ち立てた思想を変えることは恥となり負けとなる。だからその思想を固辞しより強いものにするために・・・以降学ぶことを止めるのである(笑)

2011年5月現在 アトリエペンギンは「太田龍史観」で世の中を見る。