あなたは自ら命を断ってしまった。
あなたの判断と行動について、誰がそれは間違いだと言えるだろう。

人生の主人公は自分自身である。犯罪を犯しても感謝されても何もしなくても、どんな死に方をしても主人公はあなたなのだ。
そして絶対的事実として、人は遅かれ早かれいずれ死んでしまう。いや死んでしまうというと語弊がある。いずれ死ぬ。この世に希望が見いだせなくても死についての理解がなく死ぬのが怖いという一点においてだけで寝たきりの延命医療で生かされ続けることもある。自殺を思いとどまり人生に希望を見い出した直後に交通事故で死んでしまうこともある。

世の中には死について考えない人が大勢いる。死について発言しない人も大勢いるがそれは正しい判断だ。ただ死ぬことについて考えもせず悪いことだと即断するのは浅知恵かもしれない。
ましては法律を持ち出して人が死ぬことを論じるなど何をかいわんやである。魂や人の生死は残念ながらあなた方の大好きな法律の上には乗っていないのである。

あなたが死ぬ間際に何を考えていたか、浅知恵を振り絞ってもわからない。生き残ったものが生き残ったものの脳みそで考えてもわからない。隣の生きているAさんが何を考えているかだってわからないのだから。わかった風なことを言うことはできるが。

せっかくもらった生だから。親を悲しませてはいけない。そう思う御仁は生きればよい。その考えを他人に押し付けるのは良くない。

あなたは生きているよりも死んでいる方が楽だと判断したのだろう。その気持ちは多くの人が口には出さなくても共感できるものであり、また多くの人が口には出さなくてもうらやましく思うことでもある。
もう朝から行きたくもない会社や学校へ行き、いったい何をやっているのかわからないような仕事を毎日毎日やらなくても良いのだし、 息苦しい程のストレスを感じなくてもよいのだし、不安や恐怖に怯えることもないのだ(うらやましい)

もしあなたが自殺を思いとどまり残りの数十年間を体験したとしても、結局は死んでしまうのである。どうせ死んでしまうのになぜ今死んではいけないのか。

この世を中心とした目線で見るから死が悪く見えるのかもしれない。
この世に生を受け、やることやって、あの世に戻る。
世の中にはこのように考える人が多くはいない。
でもある種の思想を妄信してこのように考えることも良くない。

あなたは前世で他人を徹底的にいじめ抜き自殺に追い込んだ。その後、後悔したかもしれないし、そんなことも忘れた人生を送ったかもしれない。社会的に制裁を受けたかもしれない。
なかなかできる体験ではない。魂は大いに磨かれて成長した。魂にとって良いとか悪いとかの区別はない。
あなたの魂はこう計画したかもしれない。
よし、次の人生ではいじめられて苦しんで自殺に追い込まれる体験をしてみよう。。。。
これもものすごい体験である。魂は大いに成長する。
でも親は悲しみ怒りに震え心的ストレスははかりしれない。でもその体験は魂を磨く材料になることは間違いない。

またある魂は思う。次の人生は体に障害を持つことで、不自由で人にたくさん助けてもらう人生を体験してみよう。そのためには、あの家庭の子供として生まれよう。お父さんお母さんお願いね。日本では身体障害者と言うところを欧米ではチャレンジャーと言うのだ。
お父さんお母さんの魂はもちろん全てわかっているが、お父さんお母さんの脳みそが判断を誤って不幸と感じることがある。

魂と輪廻転生、運命論などは良くも悪くも慰めになり、往生際は良くなる。また生に執着しなくなり、死を肯定でき、無欲で穏やかになる。そちらに偏りすぎると、無気力となる。

魂なんてものはない。死んだら全て終わりという思想。
人間の本質は魂。何度も生まれ変わり魂が成長するという思想。
この両者は決して相容れないのだ。言葉で議論・説得できるものではない。

日本では年間3万人以上が自殺している。この統計は正しくない。変死体で発見された年間10万を超える遺体を「これは自殺体ではない」と都合で判断しているのであって、お上の言い分を無視したら自殺した人は年間10万人近くいる”という見方もできる”。
ということは一日に100人~300人(以上?)が自殺しているのか。
国の一大事、社会問題などとテレビで聞くような軽口を叩きたくはない。

あくまで本人の、あなた自身の話なのだ。
あなたの判断と行動が間違いだとかあなたは弱かったなどと言うつもりはないし言うことはできない。そんなことこれっぽっちも思っていないし、あなたを否定する気は毛頭ない。もちろんまだ生きている者に自殺を勧める気もないが。

まったく同じ環境にいても楽しくて笑いが止まらない人と、ストレスで意に穴が開く人がいる。隣人の笑い声を聞かされストレスを感じる人もいるし、その笑い声に殺意を抱く人もいる。人生は面白い。ストレスを感じるのも面白い。苦しいことが面白い。ただ人生を楽しむには生きていなければならない。

こういう論調で生きていることはすばらしいことだ。生きていればいいことある。という浅はかな方向には誘導したくない。残念ながら人生は四苦八苦である。苦しいことばっかりだ。いや苦しいことしかない。苦しむために生まれてきたのだ。だから赤ん坊は生まれた時に泣き叫ぶんだ。一方死ぬ時は穏やかだ。そう、楽になれるからだ。
そして人はどうやれば楽になれるか知っているし行動もできる。このことは実は大きなテーマなのだ。支配を目的とする多くの宗教では明言的に自殺を禁止する。またある宗教では自殺は禁止するがジハード(自爆)をすればあの世で処女10人が待っていると教える。残念ながら人の生死は宗教の上にも乗ってはいないので宗教の教えに生死を照らし合わせること自体がナンセンスである。
先に言っておくが哲学という2文字でもない。

四苦八苦は釈迦も言っているし、仏教徒も皆これを建前上は認めている。
ただし、苦は楽の反意語ではない。苦が楽なのである。

あなたと同じ時代を生きられたのも何かのご縁だ。
私も多くの生きる者たちと同じ様に生を苦しんで苦しみ抜いていつかは死ぬ。どうせ100年後はほとんどの人間は生きてはいまい。

愛について考えるのと同格に生死について考える。
多くの知恵浅はかな読者に免疫がないのは想像できるが一喜一憂しないで欲しい。人生に悲観視しているのではない、変な思想にはまっているのでもない、私もいつか必ず死ぬことを知っているし、常に頭に入れている。目を背けることはない。口に合わなければ読まなければ良い。

毎日、愛と向き合う人もいれば、生と向き合う人もいる。死と向き合う人もいる。

あなたは死んだ。他に多くの人も死んだ。自殺する人もいるし、事故で死ぬ人も、殺される人も、老衰で死ぬ人もいる。死それ自体は自然なのだ。

・・・もう言葉で書くのが面倒くさい。言葉尻で間違った解釈をされると思うと遺言だって書く気にもならない。

乾杯しようじゃないか、人というものに。そして、、、、に。ついでにウェルテル効果にも乾杯だ。